替えのきく空気人形

空気人形という、是枝監督作の2009年の映画を見た。

 

中年男性の家にあったラブドールが突然人として動き出し、この世界を知り、愛を知っていくという物語だ。

 

この映画の主題の一つは、「替えがきく存在」として扱われる悲しさである。

 

劇中に登場するラブドールも、中年男性も、その他の人物も、社会から替えがきく存在として生き、日々働いている。

 

ドールは替えのきく性欲処理の道具、代用品として扱われ、中年男性は「お前の代わりなんていくらでもいる」と職場で罵られる。

 

最後にドールは、愛する若い男の家で「お前の代わりはいない」「お前にしかできないことがある」と言われ、愛の真の喜びを知る。

 

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ナンパをしていると、「他に女なんていくらでもいる」というスタンスになるし、実際非モテコミットから脱するためにはそのマインドが必要である。

 

私は、本当にいい子だった前の彼女にもそういう扱いをしてしまった。

 

いや、前の彼女だけではない。その前の彼女も、その前の前も。

 

ナンパをはじめて、一般的な恋愛観も薄れ、必死になって、3桁の数の女を抱いてきた。

 

女が自分に寄せてくれた信頼・好意を裏切ってきた。

 

女と出会い、口説くとはどういうことなのだろうか。

 

何を求めて女を抱くのだろうか。

 

ここ数か月、自分の人生の空虚な部分と、自分がこれまで関わってくれた人に与えた空虚さについて考えていた。

 

そんな折、ふとこの映画をみて、重ねるものがあった。